名前の由来

 「馬車馬のように」では、粕谷が(とくに)好き勝手なことを書いております。その時の気分で文体は不統一です。「馬車馬のように」の名前の由来は、2001年の3月に学位審査を終えたある院生の方(かた、とお読みください)が、私および(同じ研究室の)Y教授のことを”6年間、馬車馬のように働いて”と評したことです。この院生の方は、卒業研究の際もここの講座に所属していたので6年になるのでした。(2002.3)

 ここにあるもの以降は、ウェブログに移行しています。

最終修正:2007.05.05



 ワールドカップも終わった。暑い。一番印象に残ったのは(途中までならビエラかジダンだったが)マテラッツィ(イタリア、ジダンに頭突きされた人として今は有名)だった。悪役として小耳にはさんだことはあるのだが、これとかこれとかを見ると、レインビアとも方向は少し違うようだが、悪役である。
 シェフチェンコ(たぶん)の前のボールに脚を上げていく[ここですでに反則?]途中でどうも足裏がシェフチェンコの顔に向かって軌道変化しているように見える。
 きわどい球に相手もスライディングで来てもマテラッツィは大丈夫、両足ともスパイクの裏で行くから、といったシーンも見える。たしか、試合終了後に相手選手をボコボコにして、そのボコボコにされたまま(相手選手が)テレビに出て、マテラッツィは処分されたというニュース(細部はちがうかもしれない)をみたおぼえがある。
 『うつうつひでお日記』でも見て、その後仕事に戻る予定。(ココログが48時間耐久メインテナンス中なので、こちらに書きました)(2006.7.11)


 不思議なことですが、追い出しコンパの時期になると、修士課程の受験相談に来て結局受けなかった何人かの学生さん(当時)をよく思い出します。もちろん受けなかったことは悪いことではありません。修士課程の入試 は研究室選びの最大かつ数少ない有効な機会ですから、入念に選ばなくてはいけません。候補になる研究室を訪問するのは有効な手段です。でもできれば、以下の本などを読んでからだと、 もっといいでしょう(行かなくてもいい研究室もあるかも) 。

理系の女の生き方ガイド

宇野賀津子・坂東昌子著 講談社ブルーバックス

男性でもすでに就職していても役に立つところがあるだろうと思います(この本は、ここの講座の院生[名前の由来の院生の方、とは別人]が教えてくれました)。(2002.3)


 いろいろな学生(広義)と遭遇して、また、そんなに怒るものではないと言い聞かされて、教員になった直後に比べると叱らなくなったと思う。だが、どうももっと怒った方がよさそうだとしか思えない人もいる。西門豹ってところでしょうか(2002.3)


 なぜか頻繁に「婉曲的に」と書かれていたり言われたりします。そのうちそんな言い方が普通になる日も来ないとは言えませんが、いまのところは「婉曲に」。(2002.4)


 『百匹目の猿』という話がある。だいたい『ニホンザルが芋洗いを始めて、ほぼ100匹がそれをしたとき、離れた場所のサル達も一斉に始めた』という内容である。私は動物の行動を研究しているとわけだが、研究関係のル−ト(学術雑誌とか同業者とか学会の会合とか)からこの話を聞いたことがないことに気付く。研究者の相当部分は他人の仕事の話は大好きだし、幸島のサルの研究はあまりに有名である。同じように奇異な感じを持った人は多いのではないだろうか。  調べてわかってみると真相は簡単である。この話は実際にあったことではないのだった。ライアル・ワトソンが作ったものである。『生命潮流』(原題LifeTide)に載って知れ渡ったのだろう。その後、R.Amundsonに追求されて、あれは比喩だよと言っている。(ちなみに)詳しい事情はTed Schultz編集"The Fringes of Reason : A Whole Earth Catalog"(ISBN: 051757165X) に収録されている。(2002.5)

 と学会の「トンデモ超常現象99の真相」(宝島社文庫)に解説が出ているとのことです。(2002.6)

 SCICOPのサイトに河合雅雄氏にコメントを求めたものがあります。(2007.5)


 一月の間、ワ−ルドカップにふけっておりました。『前評判の高くないドイツ+キ−パ−』という組み合わせに1982年スペイン大会の西ドイツチ−ムとシュ−マッハ−(当時はシュ−マッヒャ−ということが多かったと記憶している)を思い出しました。ブラジルの”黄金の四人”に入れこんでいた私は、しだいに西ドイツの試合を見ることが多くなり、フランスとの”セビリアの死闘”では、これでシュ−マッハ−も退場かと思いました。確か、”四銃士”(ブラジルほどではありませんが、当時はけっこうそう言われていました。”将軍”プラティニ、ティガナ[最近どっかの監督でTVに出てました]、ジレス・・ともう一人が思い出せません。ジャンニ−ニか?)に替わって入っただれかをなぎ倒したのでした。あのときも、決勝で負けた。ところで、終わってみると、カ−ンにもっとも激しくシュ−トが降り注いだのはアイルランドとの試合のように思います。(2002.07)


 卒論などの原稿を直していると、毎年のように、『・・・である』と『・・・と思われる』のちがいについて、説教口調でしゃべっているのに気がつく。学者(研究者)にとってはどちらであるかは重大である。きっと来年もまた説教口調でしゃべっているだろう。(2003.03)


 生態学会大会の公開講演会で話をする機会がありました。保全と生態学について話をしました。内容に苦慮(苦吟の方が近いか?)した結果、普段感じていることを整理しただけで話すという「信仰告白」風のものになりました。終わった直後に多くの人に声を掛けていただきました。そういうことはめずらしいので、いささか面食らいました。後で集計してみると、声を掛けてくれたのは、若者とお年寄りに二極化していました。(2003.03)


 中島みゆきの”ふたりは”の歌詞に、『おお』と感心してしまいました。とくに「・・・早く旅立つがいい」「ごらんよ子供たち・・・」というところです。自分で思い付いたのではないのが残念ですが。(2003.04)


 「北のまちではもう」というのは”襟裳岬”の歌詞ですが、北の方のある大学では九十周年だか百周年だかに教職員から寄付を集めて記念事業をするそうです(百回忌ではない)。教授は30万円とかで、目標総額は何十億の桁だそうです。「○○の春は金もない春です」(○○には大学所在地などを入れる)って感じです。”こづかいをカットされるお父さん”とか”夏休みにどこにもつれていってもらえないとうらむ子供”とか”なかなか払わないので職場でいじめ”とかが頻発しそうです。中島みゆきだと「うらみます」というところでしょうか。ところで(”なんちゅう金の集め方するんじゃ”という根本問題をおくと)、ギネスブックにも載っているらしい富士急ハイランドの大きなジェットコ−スタ−は30億円くらいだそうです。大学の広いキャンパスに何十億の資金でジェットコ−スタ−を作るっていうのはないでしょうか。もっとも大学の名を知らしめるのなら、サッカ−(ヨ−ロッパ)か野球の大リ−グ(アメリカ)のチ−ムのユニフォ−ムに広告の方が効果があるでしょう。後者は自分で思い付いたのではないのが残念ですが。(2003.05)


 ワ−ルドカップ(サッカ−)一次予選のシンガポ−ル戦はスリリングでした。ところでこの試合、最大の見せ場は最後にありました。中田の”最低”インタビュ−です(言うまでもなく、中田が最低とかいうことではなく、中田が試合内容を最低と言ったのである)。テレビ朝日は番組宣伝をかぶせたたため、途中で切れてしまいました。印籠披露しかけたところで水戸黄門打ち切るようなものですよ。『この内容は、○○時からのスポ−ツニュ−スにて完全版でお伝えします』とかやれば、後の時間も視聴率が稼げたでしょうに。(2004.03)


 ワ−ルドカップ(サッカ−)一次予選での日本代表のスリリングな様子に、『監督交代』の声が高まっています。アメリカ(いわゆる”ド−ハの悲劇”[韓国で言う”ド−ハの奇跡”]のとき)、フランス(いわゆる”ジョホ−ルバルの奇跡”のとき)両ワ−ルドカップに比べると、日韓共催ワ−ルドカップは、最終予選のはらはらどきどきがなかったので物足りないとか言っていましたが、一次予選からこれほどスリリングなのは久しぶりです。勝手に”スリリング・ジ−コ”と命名しました。マスコミ情報通りという仮定で言えば、代表の中には大きく3つのグル−プがあるそうです:国内組、欧州組、キャバクラ組。他の競技のオリンピック代表ではよく選考でもめますが(最近は女子マラソンでもありました)、やはり、候補を一堂に集めて一発選考というのが一番すっきりしています。前記3組(それぞれ少しずつメンバ−補充は必要ですが、それぞれキ−パ−もいるところがにくい)にオリンピック最終予選代表チ−ムも入れて、”代表決定ト−ナメント”をやると、すっきりするばかりか、かなりの視聴率がかせげて興行としても大成功となりそうです。話題は満載なので、かなり大きな会場でも満員にできるでしょう。(2004.04)


 3月から4月にかけて、大学では卒業、入学の際に、ときおり見られるフレ−ズがある。『大学4年間は1460日』というものだ。『約1500日』とかだったら細かいことは言わないのだが、この『大学4年間は1460日』の背景によく存在する(実際に出会ったことがある)適当な発想にはひやりとする。365の4倍だから1460なのだそうだが、4年間の間には1回うるう年が入るから、1460日であることはほとんどなく(400年に3回ある、4で割り切れるがうるう年でない年は除く、最近のそのような年は1900年、次は2100年だ)、言うまでもなく1461日が正しい。だいぶ前になるが、卒業だったか、入学だったかのセレモニ−の準備の会議のようなものの席上で、あまりに1460日を繰返す人がいたので、1461日だと言ってしまったことがある。反応は、細かいことを言うな、ではなく、1460日である、だった。では、いつの入学者にとってそうなのだと聞いたら静かになってしまった。入学者の眼から見て数えてはどうでしょうと言ったら、またぶりかえして、いや365×4が正しいと激しく言いかえされたことがある。具体的な4年間をイメ−ジしてはいけないらしい(2004.04)


"3年で1095日"という歌詞をふくむうたがあるらしいです。3年なら、うるう年の次の年から始まればいいわけですが。具体的な曲名など確認中(2008.1)