”田舎”で生き延びる方法

(1999.11.25、バ−ジョン1.04)

粕谷英一

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目次
緒論
何がちがうのか
 付:研究の本拠
もっとも注意すべきことは何か
条件整備
スタートアップ
精神的補給
その他
おわりに

[緒論]

 大学院生あるいはオーバードクターにとって、就職は最大の目的の1つである ことは言うまでもない。だから、就職すなわちめでたいとだけなりがちである。もち ろん、めでたいのは当然である。しかし、多くの人は、それまでは博士課程のある大 きな大学の研究室にいて、就職後はそれとは相当にちがった条件のもとで、新たに研 究生活を始めることを強いられる(博士課程のある大きな大学の研究室に就職できる 人の割合はとても低い)。そういう大部分の人が、それまでとちがった(普通は、そ れまでよりもよくない)研究条件のもとで研究を持続していくことは、その人本人の 研究者人生にとっても、研究分野の市場確保の点でも重要である。

 この文章は、わたし(粕谷)の経験を元に、そういった条件のもとで研究者生 活をしていくとはどういうことなのか、またそれに役に立ちそうなことをまとめたも のである。以下、旧帝大の博士課程のある大きな研究室にいた院生(あなたと呼ばれ る)が地方大学の教員養成系の学部に就職したと想定して(粕谷の経験そのもの?) 、話をすすめていく。便宜上、就職した先を”田舎”と呼ぶことにする。このことば には自虐的あるいは侮蔑的な意味はこめていない。

[何がちがうのか]

 そもそも”田舎”では、何がちがうのかを見ておくことは大切である。

(1)同業者がいない 同じ研究室や日常的に手の届く範囲の同業者の有 無や多少は、一般に”田舎”における最大の問題の1つである。同業者の有無は、一 般に”田舎”での研究条件をかなりの程度まで規定しかねない(もちろん、同業者の 内容にもよる)。同業者がいることによるメリットは、情報の流入をはじめいろいろ な形をとるが、きわめて大きい。同業者がいない場合(これが普通)には、自分の研 究分野での中心的な雑誌がないなどの状態を発見し、それまでどれほど近くの同業者 に支えられて来たかを痛感することになる。

 あなたの研究室や学科には、同業者がいないとしよう(10数人から成るユニ ットに同業者が1人もいないのはたとえば教員養成系では普通である)。これは、上 記のことの反面、そこではあなたの専門分野について知るものがいないため、あなた は研究内容について批判を受けにくいことをも示している。これは精神的には楽であ る。だが、これは危険な安楽さであり、ほとんど”毒”である。

(2)学生/教員比が大きい 国立大学には歴然とした格付けがあり、格のち がう大学や学部間にははっきりとした格差がある。格差の1つのあらわれが学生/教 員比のちがいである。旧帝大の理科系学部では、1学年あたりで見ると教官1人あた りの学生数は1から1.5くらいのところがごろごろしているが、教員養成系では4く らいであることはごく普通である。それだけの学生が各学年にいるわけである。しか も、あなたは教官であるから、この学生の存在を傍観していることは許されないとき ている。

(3)雑誌が無い 雑誌が大きな情報源であることは言うまでもないと思 うが、”田舎”ではごく少数の雑誌しかない。たいていは、とっている雑誌が少ない だけでなく、バックナンバ−も少ない。これは、同業者がいないのだし、これまでも いなかったのであれば、当然のことではある。

(4)大きい本屋が無い これは地方に行ったことにより、一般的にも文 化的な情報から遮断されやすくなるということの象徴である。”田舎”には大きな本 屋はごくまれである。これは本屋以外の店についてもおよそあてはまる。

[付:研究の本拠]あまり普通ではないと思うが、研究の本拠を就職後も 出身教室などに引き続きおくことができることもある(出身大学のそばに就職できた ときなど)。そういう場合は、この文章で扱っているのとは別の問題となる。

[もっとも注意すべきことは何か]

 ”田舎”に就職して注意すべきことはたくさんあるが、最大のものは、研究す る気をなくさないことである。これに比べると、その他のすべての注意は末梢的なも のである。研究する気とは、「学問的に新しい発見をもたらすべく研究にいそしもう とする気」と定義できようが、これは”田舎”ではほぼ確実に時間とともに減少して いく。

 「魂の最大の敵は日々の消耗である」(ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ 」より)ということばがある。これは研究者がすりへっていき、研究する気をなくし ていく様子にもよくあてはまる。だが、”田舎”での状態に対する形容としてはむし ろ、垂直のつるつるのガラスの壁に沿って落ちていくときになんとか落ちていくのを 止めようと、滑らかなガラス面に爪を立てる(萩尾望都「アメリカンパイ」より)と いうのが当たっているような気がする。

 ”田舎”での研究者生活は、「研究者としてのやる気」の量が増加・減少する 過程だというようにモデル化して考えるとよい。つまり、”田舎”に就職するときに は、院生時代に「研究者としてのやる気」が充電されていて、かなり高いレベルにあ る。”田舎”の生活では、一般に「やる気」は減少する。減少する率は、研究を阻害 するものが多いほど高い。重要な(と自分が思う)発見をしたり、重要な(と自分が 思う)雑誌に論文がアクセプトされたり、学会へいったりすると、少し「やる気」が 増加する。ある刺激(たとえば学会に行く)による「やる気」の変動は、そのときの 「やる気」の量に依存している。同じ刺激を受けてもすでに「やる気」が低レベルに なっていると回復の効果は薄い。また、「やる気」が減少しているほど刺激を受ける 頻度も低下する。この概念的なモデルを、「やる気のモデル」と以下呼ぶ。「やる気 のモデル」からは、「やる気」のレベルを維持するためには、日々の減少率を抑える ことと、「やる気」増加の機会をなるべく多く持つことが重要であることがわかる。 以下、いろいろ述べる具体策のほとんどすべてはだいたいみなこのどちらかの過程に ついてのものである。

[条件整備]

 いわゆる研究上のインフラを整備することは、「やる気のモデル」でいうと、 毎日の減少率を抑えることにつながる。

 それぞれの研究内容に応じて必要なものは各自ちがうので、かなり共通しそう なものをあげてみる。まず、電子メイル(E-mail)。これは万難を排してできれば着 任と同時に使えるようにしておいたほうがよい。しかも、研究室(自分の部屋)から 使えるようにしておくべきである。次に、ファックス。いまどき、ファックスがない ところもないと言われそうである。これは24時間受け取ることも出すこともでき、 外国へも出せる場所を確保することがポイントである。

 電子メイルを自室から使うにはたいていコンピューターが必要だが、論文作成 と学会発表準備にもコンピューターは大いに役立つ。いつでも勝手に使えるコンピュ ーター+プリンタ−を確保することは、かなり重要である。同様にコピー(ゼロック ス)も、校費でできる場所を24時間使えるのがよい。学会の発表をスライドでやら なくてはいけないこともまだ多い(OHPならずっと簡単なのだが)。スライド作成の 道具も押さえておくべきである。

 はじめにも述べたが、”田舎”では雑誌はほとんどないと思わなくてはいけな い。現在のように多くの雑誌が出ている状況では、同業者がいないのであるから、む しろ自分がよく使う雑誌がそろっているほうが不思議である。しかし、自分の部屋の ある建物のどこかで、NatureとScienceとPNASが読めるという状態を期待してはいけ ない(もし3つともあるなら、運がいい)。自分の分野の中心的な雑誌がないときに は、だれかに目次のコピ−を送ってもらおうなどと考えずに、すぐに購読したほうが よい。購読するのが遅くなれば、手元にそろうバックナンバ−が不完全になるだけで ある。この場合、私費を投入して(その学会の会員になって)購読することをやむを えない選択肢として考えておいたほうがいいだろう(私費を使うのは筋からは外れる と思うが)。データベースによる文献検索は、雑誌の現物があるのにはかなわないと 思うし,目的が少しちがうだろう。ホ−ムペ−ジ(WWW)による目次などの情報の 入手は便利である。

 と以前は書いていた。その後、websiteで全文が見られる雑誌がいくつも出てき た。これは情報としては雑誌そのものに匹敵(ないしそれ以上)である。ただ、やる 気が減退したときに、websiteには手元に配達される雑誌現物にまさる一種の強制力 はないと思う。だから、必要な雑誌を購読して自分の手元に来るようにすることは、 やる気減退時の一種の保険として役に立つと思う。

[スタートアップ]

 就職した直後に何をするかは、その後に大きな影響を与える。つまり、この時 期にすることのわずかなちがいが、あとで日々の「やる気」減少率のかなり大きなち がいになってあらわれるのである。したがって、就職した直後(約1年)は3つのこ とにとくに注意を払うべきである。まず、そこで常識とされていることを見極めるこ と、次に研究条件を掌握して条件整備の方針とスケジュールを立てること、そして、 就職した先でやった仕事で論文を書くこと、である。

 ”田舎”での常識は、それまでにいた研究室の常識とは大きくちがうことがよ くある。研究に、日常の多くの時間を割くことさえ常識のらち外にあるかもしれない 。

 研究に必要な道具はどうそろえ、そろえるまではどうするのかを明確にしてお かなければいけない。たとえば、コンピューターがなければ、それはいつまでにどう やって調達し、それまではどうしのぐのか、などである。

 最後に、就職した先でやった仕事で論文を書くことは、そこで研究していける という実感を持つことを可能にする、初年度の戦略的な目標である。これにつまづく ならば、いかに、”田舎”での常識を把握しようが、研究条件を整備しようが空しい ことである。

[精神的補給]

 同業者フリ−の”田舎”では、「やる気」は必然的に低下していく。だから、 各種の精神的な補給は絶対に必要である。そのうち、大学院のころのゼミや日常的な 会話がどれほど研究上の情報の源として役立っていたか痛感する日がやってくる。

ゼミにかわるものはどうしても必要である。

(1)レビューする機会を逃さない。研究会などである話題についてレビューす る機会を与えられる場合には、よほどのことが無い限り迷わず引き受けるべきである 。新しいことを勉強する機会は次第に失せていくから、自分への圧力ともなるし、次 に精神的な補給の機会を得やすくなる。

(2)学会に必ず行き必ずしゃべる。学会に行き、かならず講演をすることは、 「やる気」の補給の上ではかなり役に立つ。通常の校費の旅費はだいたい1回の学会 出席で使い切るくらいであることが多い。旅費の調達に努力するのは当然だが、自費 で出ることも考えた方がよい。

(3)若い研究者をチェックする。自分も変わるが他人も変わるので、新人のチ ェックは必要である

(4)学会やその他の研究会なども含めて、「他の研究者と直接、面談しない期 間」を2ヶ月以上とってはならない。経験的には3ヶ月を越えるとかなり「やる気」 のレベルは低下し、しかも自覚されにくい。

(5)”書いたもの”を配る。近くに同業者がいないのであるから、アイデアに 対して意見が欲しいときには、代わりの手段が必要である。現在のところでは、紙に 書いて配るとよい。たとえ、反応が返って来る割合が低くても、紙爆弾だと言われて も、効果はある(電子メ−ルで配る方がいいことも多い)。

 上記のような補給では短期的には効果があっても長い目で見ると限界がある。 そこで、もっと長期的に有効な、大規模な補給を考える必要がある。留学(国外でも 国内でも)がそれである。現在の日本の制度では、サバティカルは(制度的には)な いので、何とか都合をつけるしかない。

[時間を作る]

 教員であるための制約は大きく、学生数は多く、定員削減のため事務官などの 数は少ないため、時間は次々に奪われ寸断されていく。研究に投入する時間の確保は 、重要な問題である。院生のときより金はあるので(博士課程の学振研究員であると そうもいえないかもしれないが)、「金で時間を買う」という発想も必要である。

 時間を作るには、依頼される仕事を断ることも大切である。わたし自身は、就 職直後、学会誌ではない雑誌の原稿依頼が来たりするとうれしかった。しかし、今か ら考えると、研究時間を失う方が大きかったようである。どういう仕事を断るかの基 準を早めに確立しないと、研究に使える時間はますますへる。

[その他]

(1)いつ・どこで仕事をするか。電話が頻繁にかかってくるために、自室では 仕事にならないこともある。論文を書く仕事などは、はかどる場所を着任後ほぼ1月 以内に発見する必要がある。

(2)ノ−ト。記憶力は減退していく。思い付いたことはすぐ書き留めておかな いと結局は失われる。ノートでなくともよいが、アイデアや疑問などをすぐに書き留 めておく習慣を早めにつけておいた方がよい。

(3)余計なけがをしない。よく、「体の傷はいえても心の傷は治らない」など と言われることもあるが、およそ30歳を境にして、「体の傷」が治るのはめっきり と遅くなる。不注意から余計なけがをすることは、大きなタイム・ロスにつながる。

(4)研究に使う物の購入は、公費で行なって当然である。スタートアップの時 期には、物の購入手続も念を入れて確認しておく。

(5)論文を書く。研究は論文が発表されてやっと一区切りである。しかし、放 っておくと、論文を書くことは後回しになりがちである。よほど精神的に強いか、長 期間かかる仕事にとりかかっている(こちらでも精神的な強さが要求される)という ことでも無い限りは、1年に1つ論文をpublishするというようなノルマを自己に課 した方が無難である。

[おわりに]

 緒論では、本人の研究者人生にとっても、研究分野の市場確保の点でも重要で あると書いた。周囲の教員が研究を続けるという観点でみると、あなたが「やる気」 を持続することは、まわりの人々の「やる気」の持続に大きな影響を持つ。まわりの 人々の「やる気」のレベルの高さは、実はおそらく、毎日の「やる気」減少率を抑え る最大の要因である。


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